遺言イメージ

自分が遺す、現実的な「遺言」

「当主の遺言書が発見されました」 よく、こういったタイプの台詞をドラマやアニメなどで聞くことがあります。
私も子供のころからよく聞いていました。
大抵が、莫大な財産を持った資産家が亡くなったというシチュエーションで、次から次へと親戚が現れて相続権を主張したり、隠し子や「勘当した子供」が遺した孫などが見つかったりします。
そして、遺産相続を巡る殺人事件へと発展するというパターンが多かったと記憶しています。
そのため幼い頃の私は、「遺言は勝手に書いてどこかに隠しておき、死後に発見されたら効力を発するもの。
若しくは、気に入った身内にだけ生前に大事なことを伝えておくもの。
そして家庭内にトラブルを起こしかねない怖いもの」と解釈していました。
子供は大抵、こんな突拍子もない勘違いをしているものです。
今となっては滑稽ですが、そこに法的手続きがあるなんて当然は全然知りませんでした。
遺言がややこしいものだと知ったのは中学生の頃。
授業で簡単に法律の勉強をした際に、学んだ記憶があります。
細かく言えば、形式など関係なく死後のために言葉や文章を残しておくものと、民法上のものがあります。
特に後者については知らないことだらけで、かなり真剣に授業を聞いてました。
民法というからには、法律に基づくものであって、自分の死後の法的な何らかの制約がそこに込められているのだと思うと、とても重いものだと感じました。
何より驚いたのは満15歳以上から残せるということ。
そんなに早く、と目を丸くしたものです。
当時の自分も15歳そこそこでしたから、実感が全く湧かないんですね。
自分が遺すシチュエーションが思い浮かばないのです。
思い浮かばないどころか、その内容さえ同様です。
思い浮かぶと言えば、とても変なことばかり。
「あの引き出しのノートは決して見ないで友達のMちゃんに託して」「あの本棚の奥に隠してある漫画は弟に託して」などなど。
見られたら恥ずかしいものをいかに両親に見せないようにするか、そんなことばかりが浮かぶのです。
そんなことを言い残したところで、逆に見られるのがオチ。
それでも真剣に考えて、いい方法が見つからなくて慌てたこともありました。
では、今ならどうするのか。
そう考えたところで結局同じことを考えてしまいます。
「このパソコンは誰も中を見ないで仕事仲間のSさんに送って。住所は携帯にあるから」「この箱は決して開けずに弟に」……学生の頃からまったく進歩していません。
しかしそうやって馬鹿なことを考えていられるうちは、幸せなのかもしれないと感じます。
馬鹿なことを考えて慌てている割に、遺言は誰もが用意しておくべきものというのが私の持論だったりするので、真剣に考えた末に私が用意したものは非常に現実的なものばかりでした。
「診察券や保険証はこの鞄」、「ここに子供名義の通帳と印鑑がある」、「葬式費用はこの通帳に入ってる」、「私が入っている保険証書はここ」など非常に現実的で、公証人に口授して公正証書などを作成する必要のないものがほとんど。
もちろん、犯罪に発展するような莫大な財産があるわけでもなく、親戚が沢山いるわけでもなく、子供もひとりしかいませんから、難しいことは何もないのです。
だからこそ、身近な大事なことほどしっかりと生前から家族に伝えておくべきだと感じています。
いつ死ぬのかなんて誰にもわかりませんし、突然の病気や事故で意識不明になる可能性だってあります。
いざとなったとき、「保険証や診察券や通帳はどこにあるんだろう、医療保険には入ってるんだろうか」などと家族が慌てたりしないように、既に必要最小限の「遺言」を用意して家族に伝えている私です。

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